彼はベッドの端に座り、もしもの話を切り出した。
「もし、俺がいなくなったらさ」
「死ぬ、という意味でしょうか」
彼は穏やかな顔で頷いた。それは今ではない。しかし、いつか必ず訪れる。私を残して彼はいなくなるのだと思っているようだ。
彼の隣に腰を下ろし、私はぎゅっと彼の手を握る。大きいけれど、か細くて、丈夫なものではない。しかし、私にとっては優しくて愛おしい手だ。強く握ることは離れないという合図だ。しかし、彼は続ける。
「約束してよ。そのときは俺のことを忘れて」
無理ですという言葉は口づけで遮られた。
「キスした思い出を増やしてみた」
「増えましたね」
くすりと笑う私の耳にかかる髪を上げようと、指先が流れる。そして、うなじへとキスを落とす。身体中を撫でる手の動きに甘い疼きを覚える。悪戯っ子のように、彼は愛撫を仕掛けてくるのだった。
「ねえ、お願い。俺のことは忘れて」
蜜な思い出を増やしながら、彼はうわ言のように繰り返す。キスの雨を受けながら、私は涙が流れた。
「忘れて、あげます」
声が震える。しかし、これが彼の望む答えなのだろう。
増やした思い出の数が多いほど、きっと全てを覚えていられない。そんな愚かな計画を彼は思い付いたに違いない。
「一気に消さなくていいんだよ。曖昧に、少しずつ俺が薄まって、消えてくの。そのあと、別の誰かと恋に落ちたらいいから」
最後に私の額にキスを落として、彼はペッドに倒れ込んだ。
「忘れますね」
私は彼の茶色い髪をなでて、また約束した。
こんな約束、私が忘れてあげますから。
私の最初で最後の嘘だ。
私は貴方を忘れない。