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レッドソックス

『ライトへ

 これを読む頃には僕はそこにはいないだろう。親指の辺りに穴が開いたことをマイクはまだ気付いていない。小さな穴だから、君は大丈夫だと言ってくれた。けれど、駄目だ。干すときにアニーと目が合った。機械的に僕と君とを干していたとき、君は後ろを向いていたけれど、アニーは苦々しげに眉を潜めたんだ。僕はこの家を出る。どうせゴミになるのだから、最後に冒険しようと思う。』


 書き置きを残して、レフトはいなくなっていた。マイクが朝から僕の片割れを探している。赤い靴下はマイクの父親がくれたものだ。マイクの母、アニーは昨日洗ったときはあったという。たしかに昨日は風が強かったとマイクは窓の外を見た。僕の片割れになれる赤の靴下は他にない。僕はベッドに丸まったまま置かれて、マイクは別の靴下を履いて、スクールバッグを手に出ていった。いずれ、僕らは小さくなるだろうに、まったくレフトときたら。



『ライトへ

 これを読む頃には僕は海を渡っているだろう。よく物を拾う男が僕を手に、船に乗り込んだのだ。彼のバッグにはガラクタじみたパーツが溢れている。僕の中には錆びたボルトがいくつも入っている。中身はずっしりと重いけれど、意外と話がわかるやつらだ。僕の穴はまた大きくなった。』


 カモメのフランシスに渡された手紙によると、レフトはもう海の上にいるらしい。返事を書こうにも、僕はマイクのベッドの下に身を隠している。埃は僕の話を聞かずにふわふわと舞い上がるか、隅で身を寄せあっている。なんだか、腹が立ってきた。

 


『レフトへ

 これを読む頃には君はこの国を出たことだろう。僕には新しい片割れができた。同じ真っ赤な靴下をアニーが見付けたんだ。それと、マイクが部屋を掃除するようになった。綺麗なものだよ。壁に赤いドラゴンの絵を飾ったんだ。君にも見せたい。』


 ほとんど嘘だ。ドラゴンの絵を見ながら、僕はカモメに手紙を寄越した。マイクは僕のことなんてとっくに忘れているだろう。ネイビーの靴下も青いラインの入った靴下も、マイクによく似合っている。靴が大きくなっている。また返事は来るだろうか。レフトはもう……。いや、考えるのはやめよう。僕はベッド下の隅に戻った。埃っぽいにおいは気にならなくなった。



『ライトへ

 これを読む頃にはホリデイも終わっただろうね。マイクはクリスマスに何をもらったんだい?今、僕はマイクより小さな女の子の冷たい手のひらの上にいる。ネズミの服が落ちていると思ったらしい。まるでニットのベストみたいだからさ。』


 返事は忘れた頃にやってくる。ドラゴンの絵はとっくに外され、スターウォーズのポスターが壁に貼ってある。何作あるんだろう。マイクの靴もまたひとまわり大きくなった。



『レフトへ

 これを読む頃には僕はもういないだろう。君に嘘をついていた。君がいないと、僕は用無しになるのだから。』


 そこまで書いて、僕は手紙を丸めて飲み込んだ。まだ僕には小さな穴も開いていない。フランシスには断ろう。レフトは今も幸せなのだから。




『ライトへ

 これを読む頃に、君に会いに行く。』


 フランシスのくちばしに挟まって、僕は夜空を飛んでいる。僕は真っ黒の布切れみたいになっている。実際のところ、僕はそんなに遠くには行っていない。僕がマイクの部屋を出たのは、僕だけが捨てられてしまうのが怖かったから。帰ろうと決めたのは、もう靴下ではなくなったから。君とちがうものになったのならは、君のとなりにいても許されやしないかと思ったのだ。僕の気持ちを知ってか、フランシスはぐんと加速した。

けれども、厚い雲を動かすような強い風が吹いた。

 手紙と僕はフランシスの口を離れてしまった。あっという間に、僕は落ちていく。フランシスの声が遠ざかる。


「ライトへ、僕は嘘をついていた」

 手紙のように、僕は最後に呟いた。





***

「マイケル、この原稿は悲しすぎるわ」

 アンナは眉を潜めて、次の絵本の原稿をマイケルの手元に返した。薄い色鉛筆で描かれた靴下のラフスケッチはマイケルの作風の優しく可愛らしいものだ。

「君がこの靴下を捨てるっていうから……」

 子供のように拗ねる恋人の作業台には赤い靴下が置いてある。本当に生きてるみたいに紙を詰めて膨らませて置かれているのが、絵本作家のマイケルらしい。左足の靴下には大きな穴が開いている。

「せめて、ハッピーエンドにしなさい」

「そうしたら、捨てない?」

「縫えばいいのよ」

「僕は針に糸を通せないんだ!」

 マイケルはできないことを自慢気に答える。アンナはいつものように溜め息をついて、裁縫箱を取り出した。靴下くらい新しいものを買えばいいのに。

 靴下を裏返して、アンナは赤い糸を通した針を靴下に刺した。生地が縫いにくいとぶつくさ言いながら、靴下の穴はきゅっと塞がった。

「次に穴が開いたら、捨てるわよ?」

「こんなに可愛い靴下くんを?」

 マイケルが靴下を履くと、ぴんと伸ばした爪先から爪の白が少し見えた。

「素晴らしい出来映えじゃないか!」

「嫌味かしら?」

「いやいや。これでハッピーエンドが書ける」


 さっと椅子に腰かけたマイケルはうんと短い鉛筆を手に取った。アンナはそれも捨てたほうがいいとこっそり思っている。



***

『ライトへ

 これを読む頃に、家に辿りつくだろう。』


 フランシスは魚を捕まえるみたいに、僕の端を捕まえた。手紙は風に乗って、遠くにいってしまった。

「帰るんだったら、もう自分の口で言えばいいじゃないですか」


 開けっぱなしの窓から僕はマイクの部屋に入った。マイクはフランシスの物音にも気付かずに、寝息を立てている。気持ち良さそうな寝顔は昔とちっとも変わらない。

 さて、ライトはどこだろう。僕はチェストの一番上の引き出しを覗き込む。カラフルな靴下たちがきゃっと声をあげた。


「僕はレフト=レッドソックス。昔、ここに住んでいたんだけれど……」

「その声はレッドソックス!どこにいってたの?マイクが探してたのよ!」

 奥からホワイトソックスが声を揃えて応えてくれた。ホワイトソックスは小さく丸められている。マイクは大きくなった。あの頃の僕と同じときを過ごしたのだから、彼女らももう小さいだろう。

「穴が開いてしまったんだ。今じゃ、身体ぜんぶが穴みたいなものだけどね」

「バカね。気に入っていたから、何度も履いて、穴が開いたっていうのに!」

 二人の言葉に僕は驚く。そんなふうに考えたことはなかった。

「ライトがどこにいるか教えてくれないか?」

 しかし、お喋りな二人は黙りこんでしまった。


「だいぶ前から、見ていないな」

 僕の問いかけに男の声が応えた。僕が辺りを見ると、壁に飾られたネッカチーフの声だった。マイクのボーイスカウトのときのものだ。

「まさか、捨てちゃったのかい?」

「いや、ホワイトたちが言ってたろう。マイクは君たちを探してた」

「本当かい?」

「私は嘘は言わない。君と同じように自分で出ていったのだと思っていたんだが、ちがったようだな」

 僕の嘘が見透かされているようで、むず痒い。恥ずかしくて、赤く戻りそうだ。

「僕が外に出られたのはジェームスのおかげだ」

 ジェームスは優しいマイクの飼い犬だ。

「じゃあ、ジェームスに聞いてみたらいいんじゃないか?」

「ジェームスは元気なのかい?」

「もう老いぼれだが、変わらず下のダイニングで寝ているぞ」

「ありがとう」


 僕は急いで下に降りた。忘れたと思っていた部屋の作りを僕は覚えている。マイクが大事に僕らを履いて、この廊下を駆けていたからだ。

 

「ジェームス!僕だ!レフト=レッドソックスだ!」

 毛並みは以前より白くなっているが、ジェームスは垂れた耳をぴくりとさせ、僕のほうを見た。

「帰ってきたの!」

 がぶりと口に挟まれると、目の前が見えない。昔と変わらない生暖かさを肌に感じた。懐かしく、独特なにおいがする。

「覚えていてくれたんだな!」

「声はもちろん、においでわかる!」

「色は?」

 僕はもう赤くないし、なんなら靴下でもない。

「オレにあまり色は見えない!」

「そうなのか?」

「うん、だから、お前は今もレッドソックスだ!」

 胸がじんわりと熱くなっていく。

「ありがとう。でも、ジェームス!前が見えない!」

 ぺっと口から出してもらい、僕はまた尋ねる。


「ジェームス、お願いだ。僕の片割れを探してほしい」

「探し物は大好き!」

 のっそりと立ち上がり、ジェームスは階段をゆっくり上っていく。迷いがない。

「外じゃないの?」

「においはこっちだよ!」

 ジェームスはマイクの部屋のドアノブを回し、マイクの部屋に入った。昔はそこまでできなかったはずなのに。


「ジェームス?」

 マイクは目を擦り、こちらを見ている。声が少し低くなっているようだ。

「今日はこの部屋で寝るのかい?」

 ジェームスはカーペットのにおいをくんくんと嗅いでいる。そうして、ベッドの下に鼻先を押し込み、手を伸ばして床を何度も掻いた。

「何かいるのか……?」

 マイクは恐々とベッドから出て、ジェームスの背を撫でた。そして、ジェームスの示すベッドの下を覗き込む。


「あ!」

 マイクはクローゼットで埃を被っていたバドミントンのラケットを取り出し、ベッドの下に差し込んだ。



 ラケットをずりずりと引き抜くと、赤っぽい固まりが顔を出した。


「あった!」

 一匹は吠え、一人は声をあげた。




「ライト!」

「……え、レフト?」

 ライトは埃をかぶって、白くなっている。

「ごめん、ライト!僕が勝手に出ていってしまって!」

「僕だって、ごめん!君に嘘をついた。君の代わりはいないし、マイクの部屋は汚いままなんだ」

「それは見てわかるよ」

 僕らは同時に言い合って、そして笑った。そうだ、僕らは靴下。ふたつでひとつ。


 マイクがライトを引っ張って伸ばすと、濃い赤色が見えてくる。以前と変わらない、真っ赤な靴下だ。

「こんなところにあったのか」

 マイクは嬉しそうに、ライトの埃をはらう。

「明日には洗濯してやる。ジェームス、よくやった!」

 ジェームスはまたぺっと、僕を床に落とした。

「なんだ、ジェームス。この布切れ?あれ、同じ手触りだな?」




 明くる日、赤くて小さな靴下は青空の下に揺れていた。小さな布切れもついでに水で洗うと、同じ赤色でマイクは目を丸くしたという。

おしまい




***

「どう?」

「前よりいいんじゃない」


 最後のページにはネッカチーフの隣に飾られた赤い靴下と小さな布地を見ている青年とゴールデンレトリーバーが描かれていた。

(了)